勇気凛々元気ハツラツな方は縁のない鬱。
それについて、この鬱経験者、というか、現在進行形で鬱歴を積んでいっている鬱マエストロどんどこが紹介しましょう。
もっとも、私などまだまだ3流。
というのも、鬱は鬱でも鬱がマジで常時鉛のように重くのしかかっている鬱病と呼ばれる病気とは別の、適応障害というものです。
適応障害とは簡単に言うと、原因たるものから離れていたらある程度鬱が楽になる鬱病です。
メトロイドでくっそアツゥイエリアありますよね?あそこにいたら見る見るうちにサムスのパワードスーツが溶けていきますが、あのエリアから離れたらケロッと溶けなくなります。
それが適応障害です。
本格重度精神病たる鬱病とは、鬱という状態がパッシブスキルか、条件付き発動スキルかで違うのですね。ひとえに鬱と言っても、症状としての鬱か、その鬱という症状が常時発生している病気である鬱病かの2つがあるのです。ワカリヤスイセツメイッ!
さて、僕はそんな、症状としての鬱が時と場合によって顔を出したり引っ込めたりする、適応障害と言われるものであり、鬱ではありません。
けど、その原因である仕事から離れていても何もする気が起きなかったり、次の日が嫌すぎて夜中に車を飛ばしてどっかの湖にボッチャンしたい衝動もあったりしたので、結構鬱病に近かったのではないかと思います。
現在も適応障害を患っている自覚はありますが、今は比較的軽度だと思います。今は。
というのも、1年間休職という名のニートをして過ごし、2年近く1週間に1度通院して過ごすというのを経た後ですから。
なので、ある程度は、そう、"ある程度"はマシになってますが、完治してませんし、現在は鬱度ちょいある状態を反復横跳びしている感あります。(今の派遣の職場がアレなので)
だけどまぁ、一度は三途の川にふんどし一丁飛び込もうとしたぐらいげんなりしてたことも多々あったので、その豊富な鬱経験から鬱のその度合いについて説明いたします。
※以下鬱度について、これは個人的経験と見解によるものなので、「それ違うんじゃないかァ~?」と言われましても、その通りとしか言いようがありません。何しろこれは価値観、感じ方なのですから。
また、当記事は自〇を教唆しているわけではないのであしからず!最後の方ちょっと重いので、許してッ!
一目で分かる!鬱早見表!
鬱度-10🤣「俺なんかやっちゃいました?」
ハピハピハッピー。たぶん、前世で徳をトクトク積みまくったのでしょう。やることなすことSSR、周りにいる人もSSR、悩みなんかねぇッ!俺は神だ!と言わんばかりの最強の人。
鬱度-5😋「あしたのごはんはなっとうがいいな!」
みたいなこと言っちゃう、常に未来に希望を抱いている成功者。自分ではNレアだと思ってるが、実はSSRに限りなく近いSR。
鬱度0😀「仕事終わりッ!帰ったらユニコーンオーバーロード徹夜でやるかぁ」
と意気込むような、趣味に没頭できる勝ち組。自分ではNレアだと思ってるが、実はその当たり前こそがSRに匹敵する要素なのだ。君はSRだよ。
鬱度3😐「うーん、一生このままの生活か?」
現状の自分に満足がいかず、うっすら見える少し先の未来、そしてはるか先にあるであろう暗雲に覆われた未来に不安を抱く。この辺からちょっと趣味が楽しめなくなっちゃう。FGOで言うとマーボー。
鬱度5😶「やばくね?俺、ヤバくね?」
その有様はゴキジェットをまともに受け、その風圧によりひっくり返ってもがくGのよう。なんとなく先に待つ地獄を察してしまい、その恐ろしさに勝手にひっくり返ってもがいている状態。ウマ娘でいうとシャカールの賢さSSR。
鬱度8😥「見える、見えるぞ、サブリミナル効果で死神が……」
この辺から心療内科に行くこと推奨。 いつの間にか、趣味が楽しめなくなっちゃってる状態。未来がどうこうのより、常に背後に立っている仕事や人間関係といった死神に怯え、その圧により楽しむということができない。どこかにその幻影がサブリミナル効果として現れては消えていく。こんなこと楽しんだところで数時間後や数日後に地獄の使者が自分を痛めつけてくることが確定しているその事実に白目を向いて苦しんでいる状態。ファイアーエムブレムで言うと、命中99%を外した感じ。
鬱度10😣「なんのために生まれて、なにをして生きるのか?」
アンパンマンマーチは実は凄い深いことを言っている。それこそ、鬱になった人的にはきっと、偉大な成功者よりもずっと響く、真理を語っている……。なぜこうなったのか?どこで間違えたのか悔い、涙が出てくる状態。シュタゲのごとくタイムリープできたらいいなと思っちゃうがそもそもリーディングシュタイナーじゃないので気づきません。何にも手がつかず、ずーっとこの記事のトプ画のように、あるいは猫のティーチ君のようにぼーっとしてしまうこともある。ファイアーエムブレムで言うと、命中99%を外したうえ、相手の必殺が決まってしまった放心状態。
鬱度15😫「よく考えたら何をしても無駄では?」
悟りの境地に足を踏み入れ始める。やってることは必ずしも何かの役に立ったり成功に繋がるとは限らない。それに、人はみないずれ死ぬ。何をしても無駄、辛いことしかない。現に趣味は楽しくないし、何を糧に生きろと……?この段階になるとよくいう、「鬱は大金渡したら治るっしょw!」な考えも通じにくいもので、「その金があったところで、何をしても楽しくないでしょ。生きる意味あるの?」とブラックジャックも匙を投げる凹み具合を見せる(最もBJ先生は外科医)。ペルソナ3のストレガ加入も視野な段階。
鬱度18🤪「その魂、極彩と散るがいい。毒々しい輝きならば、誘蛾の役割は果たせるだろう」
それはまるでシーソーのよう。生と死が両サイドに座り、シーソーをしているよう。何かの間違いで死への比重が大きくなったら三途の川にルパンダイブまっしぐら。実は、鬱度0とかからでも、ひょんなことでこの段階に一気に飛ぶこともあったりするので要注意。僕はそれで友達二人グッバイフォーエヴァーしてます。fate UBWの衛宮士郎のごとく、この世に生きる自分に「その先は地獄だぞ」と幻聴が聴こえてきて、この世には自分にとっての地獄しかないと思い込むようになります。
鬱度20🙃「もう、ゴールしていいよね」
ここに至った時、どう思ったのか分からない。なぜならば、ここに至った人は既に呼吸をしていないのだから。ある意味悟りの境地であり、人生のゴール。方法は飛び降りか、高速移動している無機物へのドッカンバトルか、ラムネのような食べ物の過剰摂取か、手首からトマトジュースをまき散らすか……。某STGの江戸っ子ツインテールは言った「自殺をする奴は、悟った賢者か、考えすぎた愚者だけだ。」と。
他人や、アドベンチャーゲームでさえ、きっとこのルートはBAD END扱いをする。
だが、それを決めるのは本人と言えよう。
死は救いという言葉を人は詭弁と宣うが、ここに至った人間にとっては、あながちそれは嘘ではないのかもしれない……。
救いはあるのですか?
メイショウドトウのごとく、そう呟くそこのあなた。
救いはあるのか?どうしたら救われるのか?
救いはあります。
人それぞれな、その鬱の根源を断ち切ればいいのです。
よく言う、「鬱は大金渡しゃ治る」という言葉。
それはそうでしょう。
さも当然なことなのです。
ダークソウルで火力不足を感じて苦戦している輩に、「レベル上げたり武器強化して火力上げたら勝てるよ」と言ってるようなものです。
というのも、鬱の原因のほとんどは金絡み。
仕事だってそうです。
金が欲しいから、仕方なく働いている。
だから、そりゃ大金なんていうものを貰ったら仕事という根源を断ち切ることができるのですから治ります。
同様に、パートナーとの不仲であっても、そのパートナーと離れられず、しぶしぶ同居しているのはだいたいが経済的理由でしょう。
だから、大金をもってレッドブルのごとく翼を得れば、そりゃ鬱の根源を断ち切ることができ、改善できることがほとんどです。
この常套句、言った方は「な?そうなんだろ?w」と得意になってますが、実は生きるのには水が大事と言ってるぐらい当たり前のことだったりします。
金の有無が人生を終わらせるかどうか考える原因になっているあたり、金は命より重いという利根川大先生の言葉は真理なのだと思います。
で、まぁ、大金でなくとも、とりあえず、根源の断ち切りさえすれば、それである程度は救われるし、鬱度14以下ならば、完治も視野です。
ですが……
鬱を超えたその先 -Go beyond Utsu-
※以下は特に管理人の主観が多いです。もはや管理人視点のFPSゲーム。そのうえで閲覧ください m(_ _)m
あいにく、鬱度15以上を経験し、そこから舞い戻ると、人生というものの意味を真面目に考えだします。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」……いや「人生は死ぬまでの拷問」と考えてしまいます。
そして、それは、仮に鬱度が回復したとしても、価値観の根底に根付く。
快復して、働きだしたとして、
「なんでこの人は仕事なんてものをこんなに必死にやってるの」
「会社は大して還元してくれないし、そもそも金なんて必要以上にいらないよね」
「その頑張ってやる原動力は何?」
と、冷ややかな価値観が宿り、仕事で働く、金を稼ぐということの価値が常人のそれよりずっと下に感じます。
言い換えると、そこまで金を稼がなくでも満足するようになると言えますが、果たしてそれがいいのか、悪いのか。
見る人が見れば「向上心のないヤツ」なのですが、大抵こうなってしまう人はそれまでに向上心や努力、我慢を持って頑張った人。
ですが、それは報われず、ただただ虐げられ、不運に見舞われ、こうなってしまった。
いわば、なれ果てなのです。
メイドインアビスのミーティなのです。
ですから、いずれ来る死という運命こそ、救い。
それまでの今の生きるという行為こそ、拷問。
レグの火葬砲のごとく、救われるその時を待っているのです。
ところで管理人さんはどういう状態?
さて、ここまで言っておいて、じゃあお前はどういう状態なんだ?と思うでしょう。
私は鬱度18まで到達し、そこから2年近い通院を経てなんとか鬱度3~5ぐらいに戻っている状態です。
人間関係ガチャで外れを引きまくり、派遣に何度か逃げてるので、職歴は散々。
ホワイトな職場に正社員として至る可能性は限りなく低く、絶望感が渦巻く状況……。
正社員であれ派遣であれバイトであれ、履歴書の職歴欄に文字が並べば並ぶほど、問答無用でマイナス評価になってしまう現状況は非常につらく思います。
あと、自分だけなのかもしれませんが、一度鬱を経験して以降、集中力が爆発的に低下しました。それこそ、グーンと下がりました。
人の話を聞く際、ある程度の長さになってしまうと、途中でポーンッ!ってそれまで聞いていたことが吹っ飛んで、以後「ほわぁ?」みたいな感じになって全く頭に入らなくなります。
本を読むにしてもそうで、小説を読むことがひたすらにきつく、これも同様、途中で「…ところで、何を言ってんだこの文章は?」ってなって頭に入らないという……。
さらに、これも集中力の低下の原因の一種だと思うのですが、昼間にとんでもない睡魔が襲ってきます。
8時間睡眠取っているのにですよ?
なのに、仕事が始まって1時間後にうとうとしてるんです。
体を動かしているときや、ある程度忙しい仕事ならばそうはならないのですが、そうでもないものだと、本当に強烈なラリホーを喰らいます。
そして、さらにさらに、なんか目の焦点合わない!
一点を見つめていたら、全てがもわ~って感じで焦点合わなくなるんですよ。
色んな意味で一点集中というのができなくなってしまっていて、ぶっちゃけ言いたい。
俺、社会不適合者じゃない!?仕事無理じゃないこれ!?
世間も求めます。世間は言います。
働くのが正義、生きてるだけで丸儲け!
生きていることに意味があるんだよ!仕事をしていて立派だよ!
と。
もう、辛くて仕方ないのです。
日常生活で絶望する度に、すぐさまコンティニュー画面が出てきて、「諦める」にフォーカスを当てている自分がいる。
それを、世間は無理やり、「頑張る」の方に動かそうとしている。
僕は抗いますが、徐々に徐々に、「頑張る」の方に引っ張られて……
そして、思ったのです。
その時、グンッと「頑張る」の方にフォーカスを動かしてやったんです。世間の体が引っ張られるぐらいに。
というのも、こう思ったから。
「ああ、わかったわかった。どんな形でも、"世間"から見たら生きているのは立派だろう?一度4んでるようなものだし、そこまで言うなら俺という荷物預かれよ?お?」
と。
そりゃもう、周りの同級生は結婚したり、いちゃいちゃしたり、友達と仲良くどっか行って笑ってたりでキラキラでまぶしくて、目がつぶれそうで、ムスカ状態です。
ですが、自分は一度、この世から消えかけた存在。
そのまま消えていたらきっと楽だったに違いありません。
しかし、今こうして生きている。
この生きている状況に決して満足しているわけじゃないです。
このまま生き続けてもやはり拷問には違いなく、嫌なことがあるたび、「やっぱり終わってた方がヨカッタンジャナイカ!」と思ったりしますが、世間は生きているだけで丸儲けだのいって、生きていることに絶対的価値や正を付しております。
そんな決めつけや偏見には正直うんざりです。
嫌になります。
綺麗ごとだと思います。
ですが、それならば……
「言ったよね?そう言ったよね?」
という脅し、
「ならば、いくら自分が無能で、最悪な目にあって、辛い状況に陥ってても"生きているだけで良し"なんだよね?何も言うなよオイコラッ!」
と開き直って生きていってやってるのです。
世間の言うことはあからさまなきれいごとです。
でも、「そんなきれいごとにこれでもかと、思いっきり寄りかかってやる。それでだめだったらオイコラ、責任とれよ?何かしらで償ってもらぞ?馬鹿にすんなよ?頑張ったんだから、馬鹿にするなよ?お?」
と、その軽口に思いもしない重荷を寄せてやろうと思ったのです。
自分一人で負担するのはあんまりじゃないですか、そんなに自分に生きていてほしいと願ってるなら、僕の重荷をいくらか負担してもいいよね?ということです。
今の職場も上司ガチャはハズレで、なんでか知らないけど、こちらが質問や確認するや否や、一言余計なこと付け加えてメンタル攻撃してくるやつが僕についちゃってます。
正直絶対零度か地割れかザキかムドオンを放って消し炭にしてやりたいですが、このボンクラの愚か者は知らぬであろう、死の一歩手前の光景を見て、その時の価値観や心情を手に入れている僕としては「寛大な心で許してやろう」って感じなのです。「まだ我慢してやろう」「諦めるを押すその猶予をもう少し与えてやろう、特別にな」と。
ですが、もしこれが我慢ならない時はその後どうなったっていい。
爆発して、上司にたてつくことでしょう。
そういう、
「うるせェ!!俺は生きてやってるんだぞ!!」
「ま、一度終わったこの命。再度貰ったならば生きてるだけで世間は褒めてくださるでしょう?なのに、お前はまた死地へと向かわせると?ダボハゼがッ!」
「生きてやってるんだからそれでいいでしょ?ある程度我慢するけど堪忍袋の緒が切れたら知らないよオラオラ」
「は?俺は"深淵"を知りし者なんだが?お前は真の"終焉"を知らないだろ?じゃあ、一度行ってみますかぁ?行きたいですかぁ!?この青二才がッ!」
「あーあ、いいのかな?この僕に、そんなマイナスなことやっちゃ!やっちゃうぞ?ほらやっちゃうぞ??お前のせいだかんな!?やっちゃったらよぉ!」
って気持ちで生きてます。
……と、ここまで書いて多くの方が、無敵の人なるものを思い出すでしょう。
僕のこの価値観、人生観は確かにそれに通ずるところはあります。
ですが、決して人に危害を加える意図はありません。
それに、僕は、個人的には無敵の人に対し批判的立ち位置にあります。
自〇は外野がとやかく言うほど悪いことじゃない、むしろ、我慢をし続けた者の最後のわがままだと思っていたりしていますが、無敵の人の傍若無人っぷりは、この拷問に満ちた人生を希望に満ちた人生と思い、楽しんでいる別人種に、その道を途絶えさせる、あるいは、全く別の道を強制することになってしまいます。
目的が自分を終えるということだけじゃない。
社会や他者へのダメージもしくは終わりと、そして、自分の終わり、それが交えてしまっている。
流石に、それはわがままの範疇をこえております。大迷惑です。
一個人の勝手な暴走にすぎません。
巻き込まれた他者は「オラも4んでいっぞ^^」って風に気持ちを同じくしているわけじゃないでしょうからね。
だから、一個人、自分以外が望まぬ行為はよくはない。
そう、周りを巻き込み、しかも、一個人、自分ただ一人以外が望まぬ行為は……。
ですから反対なのです。
終わりッ!
さて、なんだか重たい話になってしまいましたね。つか、なっが!!
人それぞれ人生観はあると思いますが、自分は少なくともこんな感じです。
改めて注意しておきますが、鬱度は個人的な経験と見解に則ったものです。
そして、当記事は自〇を教唆しているわけではありません。
なので、悪しからずッ!